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  • 執筆者の写真Kyohei Hayakawa

My Story 旅



世界中を旅した経験。バックパッカーとしての一人旅。

私にとってそれは豊かで大切な思い出であり、世界への理解を深めた貴重な記憶。

同時にそれは、まともな社会からドロップアウトすることも意味した。

20代前半、私はひたすらにさまよう旅人だった。



初めて海外を旅したのはニューヨーク。

大学に入ったものの将来の目的を見出せなかった19歳の私は、とにかく何かをしたいと思い立ち、一人でニューヨークへ行くことを決めた。

アートが好き、それならばニューヨーク。

ただそれだけの理由だった。

ニューヨークには1ヶ月間滞在し、美術館、博物館、ギャラリー、ブロードウェイ・ミュージカル、とにかく興味のあるもの全てに飛び込んだ。MoMAやメトロポリタン美術館で有名な絵画を生で観る喜びを覚え、ブロードウェイの『オペラ座の怪人』を観て舞台の素晴らしさを知り、様々な人種の行き交うニューヨークの刺激的な空気を吸収した。

同時に何者でもない自分、まともに英語を話せずコミュニケーションの取れない自分に情けなさも感じた。



結局、中途半端な気持ちでいることに苦痛を感じ、大学は中退した。

そしてニューヨークでの経験から英語をしっかり学びたいと思い、20歳の時1年間カナダへ留学。

1年間の前半をバンクーバー、後半をトロントで学んだ。

そして学校を卒業後、1ヶ月間ほどカナダ東部を旅行。ニューヨークとは違う新たな世界を知り、カナダで過ごした日々も大切な時間となった。

年末、カナダの旅の終わりに再びニューヨークへ渡り、タイムズスクエアのカウントダウンにも参加した。その有名なイベントには世界中の人々が集まるために、大晦日のタイムズスクエアは夕方には封鎖される。そのため6時間以上ただひたすら待ち、その区画からは出られないという大変さもあったが、「人生に一度は」という想いから、長い待ち時間もその後の話の種へと変えた。タイムズスクエアの午前0時の興奮は、若かった自分の胸へにぎやかに刻まれた。



語学の留学を終えた後、英語を覚えた私は海外の大学で学ぶことを考えた。

アメリカの大学でしっかり好きな美術でも学ぼう。

今思うと20歳も過ぎて随分のんきな考えと思うが、当時はまだ若く楽観的であった。

その後渋谷の高級ホテルで働き、アメリカの大学へ行くための貯金をはじめた。

やがてある程度資金も貯まり、学校への手続きも済み、準備は整っていた。

だがある時、私のわがままな感性は別の行動を示した。


「世界を一周してこよう。部屋の中の想像でなく、世界中の本物に触れてこよう」


それはニューヨークやカナダで体験した生の芸術に触れる喜びからでもあった。

また、その頃読んでいた村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』からも何かしらの暗示を受けていた。

できるだけ人のやらない道を選ぼう。

そうして私は大学をキャンセルし、地球を一周する旅を決めた。



世界中の芸術に触れる約5ヶ月の旅。

アメリカのサンフランシスコから入り、都市に滞在しながらアメリカ大陸をバスで横断。

3度目のニューヨークから飛行機でイギリス・ロンドンへと飛んだ。

そこから初めてのヨーロッパ旅。

イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、ベルギー、オランダ、チェコ、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ギリシャ、トルコ。

ヨーロッパ各国を渡り歩く自由な旅。

大英博物館、ルーブル美術館、ローマやフィレンツエ、東欧の優雅な街並み。

芸術、音楽、建築、文化。

当然困難もあったが全てが美しい体験であった。



ヨーロッパからアジアへ。

飛行機で香港へ行き、そこから列車で長い中国大陸の旅を経験。その後韓国も旅した。

歴史の素晴らしさと心ある人たちとの出会い。

現地では色々と助けられ、大きな優しさを与えてもらった。

それが私の個人的な体験であった。



そして最終地のソウルから日本へと帰国。

アメリカ、ヨーロッパ、アジアの美術館を周り、様々な文化・芸術に触れ、世界の人々の人生を肌で感じた素晴らしい旅を終えた。



普段の生活の中では忘れてしまうが、ふとこの旅を思い出せば目の前の困難は日本だけでなく、世界から見た小ささとなる。

その感性は、繊細さのある私にしなやかな強さをもたらす。

簡単には観ることのできない美しい芸術作品、そして美しい人生に数多く触れた経験。

世界への旅は私の美意識に特別な感性を与えてくれた。


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